−絵描き文字書きのための基礎からの天文−

第1回『夜空に蒼い月を見上げる』 初稿公開日July/26/2006 最新更新日July/26/2006

 作者は情景を思い浮かべながら絵や文を書き進めます。

【例文1】
”何時もより酒を過ごしたらしい。ふと目を覚ました目の前には酔い潰れた仲間が気持ち良さげに寝息を立てている。窓を開けて外へ踏み出す。夜半、冷気が肌を刺し天頂近くに昇った月は蒼い光を投げかけている。”

”「ああ、今日は下弦か」”

ちょっと待って下さいそこの絵描き文字書きさん!!!

上の例文1を読み進めて台詞に「下弦」が登場するやガックリする読者は多いはずです。
なぜなら、下弦の月が南中する時刻には太陽が東の地平線に迫っている(季節によって日出時間は±1時間程度異なります)事を身体が知っているからです。

夜更かし仕事に就いていたり朝がかなり早い人でなければ南中した下弦の月を観察する機会は少ないのですが、人間も地球上に長く生存しただけあって体内時計や生存本能、方向感覚が多少なりとも働きます。このような時刻や方角をたどる文章の逸脱には、一瞬にして「あれ?」っと違和感を生じるのです。

例文1(台詞の手前まで)から読み取れる事は概ね次の通りです。
(1)季節は晩秋から冬=月が天頂近くまで上がっている
  (※ただし南半球なら6月頃なので注意。赤道近辺は別感覚。以下北半球、特に日本基準で記述しますよー)
(2)周囲はまだ夜闇が深い=月光で辺りが照らされている(これは半球関係ない)
(3)月はやや太いor真ん丸=半月より細い月が南中に近い時刻なら夜闇にはならない(これも半球関係ない)


読者は無意識の内にも作品に本能を重ねながら読んでいるのです。理屈はさておき「なにか違う???」と、それまでの文章で頭に思い浮かべた情景が崩れてしまうのです。また、絵ならてきめん「なんかおかしい!」と感じるでしょう。(例絵UPしてませんが)

【例絵2の情景】
”敵陣に奇襲をかける刻(とき)が来た。息詰まる子刻。細い月が山際に掛かろうとしている。”

かからないから!!!
真夜中24時、さあ奇襲をかけるぞ!って緊迫感溢れる場面の背景に地上すれすれの細い月を描いちゃダメです。一気に白けます。細い月は太陽の近くに位置しているので、真夜中の空には在りません。


 前置きのつもりがほとんど本文になってしまいました。
この講座は「知っておくとグっと情景がひきしまる」天文ワンポイントとして脳裏に収めていただけると幸いです。地球上、あるいは太陽系地球とほぼ同じ環境下で展開するお話を描いたり書く場合に背景となる自然法則です。もちろん作品内で法則をハズしても間違いというわけではなくて、ファンタジーとして堂々と描くのは全然問題ないので、自然法則を踏まえた上で上手く逸脱させて幻想的な作品を創り出してほしいなと思います。


 では地球地上から観察する太陽と月の位置を見てみましょう。



春分or秋分ごろの夕方6時(18時)の空模様です。

太陽の沈む18時、上弦の月ならちょうど南中していて今夜はこれ以上高度が上がらず、この後、夜24時まで6時間かかって西空へ降りて行きます。この日、満月なら太陽と入れ替わりに東の空から上がるところになります。満月は真夜中24時に南中し、翌朝6時には西の地平に沈みます。



(おもわず夜更かし)
真夜中の24時。下弦の月がようやく遠慮がちに東の空に現れます。

夏至の太陽は年中でもっとも北寄りで南中高度が一番高いことは理解し易いと思います。月の場合は太陽と逆に、夏は南中高度が低く、冬の南中高度が高くなります。夏は冬より日照時間が長いですね?同様に冬は月照時間(←こんな用語はないよー、「月が地平線上にある時間」と言った方が正解だ)が夏より長いのです。(なんでやねん?って話は、どこか続きで書きますよー)



(今日はもう寝ます)

冬の下弦の月を背景が夜闇のままギリギリまで高度を上げるなら、時刻は何時まで我慢できるでしょうか?

余裕を持って南中時刻より1時間早い朝5時に観察するとします。12月中旬、冬の日出時間は関西(をいローカルだな(笑)でざっと6時50分から7時5分頃なので、かろうじて夜闇天頂近くの下弦の月を味わえます。速攻薄明が始まりますが。そこは書きよう描きようで!

北海道知床で撮影した時、薄明や日出の時間感覚が合わなくて困った覚えがあります。星の撮影は1コマの所要時間が長いので日周運動や日の入り日の出を考えて撮影計画を立てて臨みます。が、経度がここまで違うと日本標準時と実際の星空の明るさはずいぶんズレます。「明け方5時くらいまで撮れるやろ」と思ってたら4時30分でアウトだったりね。数字で見れば30分の差なんだけど体感時間はだいぶ早いと感じた関西人です。


ちょっと教科書1冊見つからないので余談でも。
大学で単位揃えて『教員免許』を取得したけれど実習以外では教鞭をとった事がない人は割と多いのではありませんか? 是非、卒業したら1度は教育現場の実務に就いて欲しいなと思います。2週間4週間の内に単枠で実習するのと違って、通年で1つの教科の流れを掴み、時には脱線して進度が遅れたり(え?)教科書から更に発展して今話題の科学を語り合ったり、時間数が足りなくなって順調以上に進んでる他の教科の先生から枠を譲ってもらったり。たしかに授業と校務分掌と生徒指導と他他諸々に追われて大忙し(日付け変わっても採点や添削してるしね)ですが、実習ではまだまだ生徒だった自分ではなくなり、先生の目線に近付く事が出来ます。あれ?生徒の目線に立つものじゃないの?と思われますね、勿論「生徒の目線に立つことができる」のは『先生』になる事の必須項目の1つです。しかし先生とは、その場に『先生』として存在出来なければならないのです。どんなに言い張ったところで実習生はやはり生徒のままなのです。一方、みんながみんな『ハツラツ快活金八先生』である必要は全くありません。ねむそうだったり酒に溺れてたりワルっぽかったり様々な性格の大人が学校の中に居る、その性格との接触が児童生徒の内面にある何かを開花させるきっかけになっていくのです。
 おおらかさや懐の深さが現場から失われて久しいかなと思います。校長室に一升瓶があったり教室の学級担任の机下に使い込んだコーヒーポットがあったりでも、『ええんじゃそのくらいは』という気概が少々懐かしいですね。保護者の方々の視点は今どこにありますか? 「『先生』くらい自分も出来る」あるいは「『先生』より自分の方が偏差値高い学校(学科)卒だ」などと思っていませんか? 児童生徒を育む現場を見守る気持ちを今一度見直す時勢が来ましたよと提言します。

 (気になるけど教科書1冊くらい、ええかなーなくても。ちゅうか余談長いよ)

あと、先生は授業を楽しんで下さい。先生がノリノリだと聞いてる生徒も気分UPしますしね。

 (学習指導要領、どこに入れたかなぁ気にせんでもええと思うけど。気になる方は検索でGOして下さい)
ここまでの講議内容は小学校4年生の理科および中学校の理科第2分野の内容とその応用です。

あーもう1回イラレに戻らなきゃ。。。orz(イラレ苦手なんだ、ちゅうか正直わからん。3Dソフトは使用頻度の都合で持ってないー)
『窓OS』の人はステラナビゲータというソフトで天体シュミレーションできるよ
ウチはMacだー・・・July/26/2006今日はここまでー

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